夏の日にさよなら . 5

病室のイメージに違わずひたすら色調の薄い部屋を赤く染める夕日は、いつのまにか少しずつ海に沈み始めていた。
日が落ちるのが遅い季節とはいえ、取り分け今日は時間の流れを遅く感じる。
ベッドに腰掛けながらそれを眺めていた石塚は、にわかに近づいてくる足音に眉間をひそめた。

「すみません!遅れてしまって…!」

呼び止める者は誰もいなかったのか、騒々しさを引き連れたままに扉を開け放った永野は余程急いで来たらしく、肩で息をしながら大声を出した。
咎めるように軽く咳払いをすると、はたと気付いたように声を潜める。

「聞いていた時間よりもかなりの遅刻だな」
「すみません、色々と手間取りまして。でも、その…」
「ん?」
「…待っててくれたんですね」

なにがおかしいのか、珍しくいつものしかめ面を弛緩させながら、永野は室内に籠もる熱気の唯一の逃げ道となっている窓へ寄りかかる。
それを面白くなさそうな顔で眺めながら、石塚は立ち上がった。

「君が迎えに行くと言って聞かなかった手前、待っててやらないと。それで拗ねられても困るからな」
「…拗ねませんよ。でも、もう検査も終わってとっくに現地へ向かってるものとばかり…ああ、結果はどうでしたか?」
「何ともなかったよ。元々、用心して引き留められていただけだ。大したことはない」
「それでも大事ではなくて良かったですよ。お陰で何とか間に合ったんですし」
「それはそうだが…ああ永野、それは置いといてくれ」

ベッドの下に置いてある、荷物をまとめた鞄を取り上げようとするのを制すると、不思議そうな面持ちで永野は手を離した。

「それは明日改めて取りに来るから、いいんだ」
「今から一度家に戻って出直すんじゃなかったんですか?」
「いや、そのまま行こう。先生がいるとはいえ、あの面子で統制が取れてるか心配だ」

一度何かを察したような顔をした永野だったが、再度機嫌良さそうに笑うと窓を閉めた。

「じゃあ、行きましょうか」




青く暗い空が広がる中、オレンジの日が沈む水平線の辺りだけが紫掛かっていて、それも徐々に明るさを落としていく。
辺りが夜になりかけた海岸線を会話もないままに歩きながら、永野はその景色を挟んで石塚の様子を窺っていた。
何やら機嫌が良いらしいのだが、それを押し込めるように先ほどからむっつりと押し黙っているように見えた。
よくよく考えれば、石塚はこの日の思い出作りの発起人だ。その企画をなんの打算もなく楽しみにしていたとしても何の不思議もない。
彼の言を借りれば、例え遊び程度の観測であろうとこれが本来の仕事の一環であることには変わりないのだ。
むべなるかなと一人頷く永野を黙って横目で見ていた石塚だったが、常日頃からは考えもつかないほどに気分のよさそうな永野に妙な印象を受けるらしく、探るように言葉を発した。

「…何だか、やけに楽しそうじゃないか?」
「そうですか?」

どこかつっけんどんな石塚の口調も意に介さず、永野は顔を向ける。

「多分、貴方が楽しそうだからだと思いますよ」
「僕が?」
「何となく、そんな気がするだけですけど」
「……そうか」

心底意外そうに声を上げる石塚だったが、否定はしないらしい。
しばらくして、遠目に扇浦の海岸が見えてきた。
まばらな人影が忙しく動き回っているのが分かる。
此方に気付いた者がいたのか、一人が大きく手を振るとそれに続くようにして全員がそれぞれ何らかの合図を送っているのが分かった。
それに軽く手をあげて応えながら、石塚は独りごちるように呟く。

「そう言われれば、そうかも知れないな」
「何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。今夜はよく星が見えそうだ」
「分かるんですか」
「何となくね」