夏の日にさよなら . 2

「…というわけで、天体観測をしようと思う」

一体、何が「というわけで」なのか。
神妙な顔つきで教壇に立つなり、何の前振りもなく始まった委員長の第一声に大半の人間がその言葉の意味を理解しかね、疑問符を浮かべた。
揃いも揃って怪訝そうな表情を浮かべているクラスメイトを一人ずつ見渡し、静まりかえっている室内で石塚は再度声を上げる。

「今は当たり前のように…いや、曲がりなりにも軍属である以上当然なんだが…撤退までの期間を戦って、本土へ行くことを念頭に置いて活動をしている。だが、この隊は天文観測班だ。それが本来の僕らの仕事だろう。次は…」

次は、いつここへ帰ってくるとも分からない。
だからせめて悔いの無いように、と口をついて出そうになった言葉を思わず押しとどめた。
帰ってこれるのか?
いつ終わるとも知れない戦争を、僕らは生まれた時から続けているのに?

「あー…まあ、なんて事はない。この隊の、観測班の班長として、最後くらいそれらしい仕事をしておきたいんだ。といっても、残された観測所の設備を修理するなんてことは現状では不可能だから、あまり大がかりなことは出来ないが…何か意見はあるか?」

そこまで言って、石塚は少し間を置く。
突然の提案に、クラスの面々の反応は様々だったが、所々で囁き声が交わされている以外に目立った動きはない。
気が焦って話しを早まったか?
そう思ったとき、前列の永野がすっと手を挙げた。
石塚が目で促すと、自然と集まる周囲の視線も素知らぬ様子で、短く応じる。

「自分は、良いと思います」

周囲が、多少のざわめきを見せた。
無理もない。真っ先に「無駄な事だ」と反対の声を上げるであろう人物が、率先して賛成の意を表したのだ。

「続けてくれ」

思わず笑ってしまいそうになる顔を、人目がある手前なんとか引き締める。
しかしその若干の機微に感付いたのか、急にやりにくそうに口ごもりながら、永野は言葉を継いだ。

「ま、まあ、軍務においては全く不必要であるという点においては、いささかは許容しがたいものがありますが…それが本来の仕事とまで言うのなら、一番縁の遠い自分に言える事はありません。…これは、非常に個人的な意見ですが。このまま何もせずに此処を出てそれで終わり、というのには、少々味気ない感を覚えないでもありません」

僕は軽く頷いて返す。
思えば決して長くはない期間だったが、永野がこの任地において、いくらかの名残惜しさを覚えてくれているというのが、ただ嬉しかった。
ここで育ってきたみんなと比べその思いに多少の差はあっても、本質は同じものだろう。
その後を継いで、遠慮がちな挙手が視界の端に映る。

「私も、賛成」
「蔵野…」
「たんぽぽは使えないけど、機材は揃ってるから…後は修理の人手だけだよ」

珍しいこともあるものだと思ったが、漸う考えれば何ということはない。
星を見ることは、彼女の本分とも言える行為だ。
常にどこか気怠げな目差しが、いくらか生き生きとして見えた。
彼女の発言を皮切りにして、俄にクラス中から声が上がる。

「…そうとなれば、すぐにでも日取りを決めないと!」
「それぞれの役割も分担しておいた方がいいんじゃないか?」
「それもそうだが、まず機材の状態を見てみないことには…」

この様子を見る限り、どうやら僕が率先して労を執ることもなさそうだ。
今一度、先生を見遣る。
黙って事の成り行きを見ていた男先生は、呆れたような、諦めたかのような顔で嬉しそうに頷いた。
多分、これがこの島での最後の思い出作りになるだろう。
思い出作り。悪くない響きだ。

「…決まりだな」





相変わらず蒸し暑いことこの上ないハンガーは、人気もなく閑散としていた。
車両や武器の整備もある程度こなしているようだし、おそらく、誰もが観測の日へ向けての準備に余念がないのだろう。
その情熱を少しでも訓練や勉学に向けてくれたら今頃は…と詮ないことを考えていると、ずっとモニターを凝視していた永野が顔を上げ、その上に肘をついて思慮に浸っていた僕へ胡乱気な目を向けてきた。

「…石塚さん」
「何かな」
「こんなところで油を売ってて良いんですか?まさか、暇なわけでもないでしょう」
「確かに暇ではないけど、これも仕事の内だよ」
「仕事ですか」
「私用だって言った方が良かったか?」

口を動かしながらも端末を弄っていた永野の手が少しだけ鈍り、すぐに一定の速度を取り戻す。

「…別に、僕には関係ありません」
「冷たいね」

元の通り動き出した指が、今度は完全に止まった。

「今は仕事中です」
「ひょっとしてお邪魔かな?」
「そう取って頂いて差し支えありませんね」

再び目だけを向けて寄越すので、機嫌良く笑って見せたら睨まれた。
当然だが、僕が余所でこんなに気の抜けた顔を作ったりしないのを、永野は分かっている。
それ故に、釣られては負けだと思って不躾な態度を取るのだろう。
僕からすれば、永野だからそんな反抗的な姿勢も笑って許せるというものなのだが。
ため息をついて、永野はモニターへ向かう。
もう此方にかまける素振りも見せない心算らしい。

「そうか…」
「ええ。ですから、あなたはあなたで、早急に自分の職務を…」
「だったら尚更、邪魔のしがいがある」

これ以上構うなと言う意思表示さえも無視して率直に言ってやると、機械の駆動音に混じって、辺りに甲高いエラー音が反響した。
永野はというと、手は端末に触れたまま、うつ伏せになって頭を卓に置いている。

「どうした?僕になんか構わず作業を続けてくれて良いんだぞ」
「…もう良いです」

存外、あっさりと根を上げたようだ。もう少しくらいは粘ると思ったが。
半ば降参のようなポーズを取っていた永野は、徒労感を存分に滲ませながらむくりと起きあがり、椅子の背に凭れた。

「…しつこいようですけど、本当に仕事しなくて良いんですか?」
「誤解があるようだが、してない訳じゃないぞ。仕事なんてものは、片付けたら片付けた分だけ増えるキリのないものだからね。分量を考えてそれなりにやっている」
「…観測の方は?必要な機材が壊れていて使えないとか言ってませんでしたか?」
「ああ…それなら、どうにか手を回して部品の調達だけしておいたよ。あとは勝手知ったる何とやらだ。直せる誰かが率先して直すさ」

窓のないハンガーの中では、時間の感覚が分かりづらい。
時計に目を向ける。そろそろ夕飯が食べたい時間だろうか。
しかし、この分だと外で軽く済ませることになるだろう。
そう思うと、急に手料理の味が恋しくなり空腹感が増した。

「それにしても、唐突でしたね」
「何が?」
「天体観測ですよ。貴方のことだから、何か考えがあってのことなんでしょう?」
「考えか…。うん、強いて言えば……星が見たかったから、かな」
「……」
「……」
「……」
「どうした?」
「…それだけの理由で、あんなに堂々とみんなに提案したんですか」
「何を言ってるんだ?天体観測で星を見る他に何の動機がある?それに、みんなもいつになくやる気だし、良かったじゃないか」

一体どんなトンデモな答えを期待していたのか、頭を抱えんばかりの様相で永野は呟いた。

「無茶苦茶だ…」

言っていることは無茶苦茶どころか筋が通っているはずなのだが、どうやら齟齬があるらしい。
しかし、仮に無茶苦茶だとしても、その無茶が(一部の誤見も交えつつ)満場一致で場に通ってしまったのだから、理由など言ったところで今更だろう。
そもそもが、動機よりも行為自体が肝要であることは自明だ。
それが分からない永野ではないはずなのだが。

「そもそも、君は真っ先に賛成したじゃないか」
「そ、そうですけど…今まで、そんなこと一言も言わなかったからには、きっと隊に対して何か思うものがあってのことだろうと…」
「永野、これは委員長としての意見なんだが…戦うこと以外で、みんなが一丸になって頑張れることがあるというのは、このご時世にしては実に平和的で良いことだと思う。戦闘に…ひいては撤退に備えて気を張るのは勿論だが、適度に力を抜かないと。何かしていないと不安なのは分かるが、根を詰めると良くないぞ」
「…僕に言ってますか?」
「そう取って貰って差し支えないね」

苦渋も露わに、永野は黙りこくる。
何か言ってやりたいがしかし。と言った様子だ。
…本人がこれだけ頑張っているのだし、そろそろ許してやっても良いか。

「永野は永野のやり方で、納得のいくまでやればいいさ。その合間に、準備を手伝ってくれればいい」
「…どうせ、専門的なこととなると僕じゃ手に負えませんしね」
「そうじゃない。思い出作りも良いし賛成ではあるけど、それに気を取られて戦闘に支障が出たら元も子もない。…そうだろう?」
「……よく分かりましたね」
「君のことだ。嫌でも分かるさ。みんなもきっと分かってるよ。だから、安心して任せていられるんだろう」

呆れたような顔をしていた永野だったが、最後には思い出したように小さく笑みを零した。
ああやはり、僕はこれが見たかったのだなと思う。
星を見る以上に単純で不純な動機だ。
これほど分かり易い理屈もそうそうないだろう。

「今まで通りだ。永野。今まで通り僕に付いてくれば、君は死んだりなんかしない」
「妙に頼もしいですね、隊長」
「…本当はそんなことを堂々と言えるような性分じゃないことくらい、分かってるだろう?誰かさんが気を紛らわそうとして一心不乱に機械いじりをしてるのを見かねて…いや、これは愚痴だな。その辺は一理解者として、言わずとも察して欲しいところなんだが」
「…そうですね。じゃあ、僕は大人しく石塚さんに付いていくことにしますよ」

顔が弛緩すると共に、永野の肩の力が抜けた気がした。
後は、来たる日までを耐える。そして観測を成功させる。
この島でなせることは、もうそれだけだ。

「あの、石塚さん…」

応じようと口が開ききる前に、耳慣れたサイレンに続いて、音の出の悪いスピーカーからアナウンスが聞こえた。
…戦闘だ。自分でも驚くほど素早く頭を切り替える。
前回の出撃は五日前。その時の損害は既に埋めてある。問題はない。

「悪い、永野。帰ってから聞く」
「…はい」

話しの流れを絶たれた所為か、どこか釈然としない様子のまま永野は奥へ駆け去っていった。
僕も早く行かなければ。
急く気を抑えながらも遥か頭上に目をやり、格納されたままの巨人の頭部を眺めた。

「…頼んだぞ」

誰を、何をだろう。それを自問している暇はない。
しかし、不意にそうしなければと思った
遠くの方から、複数の慌ただしげな足音が聞こえてくる。
この日常はサイレン一つであっという間に雲散霧消してしまうものなのかと、つかの間の諸行無常に耽りつつ、永野の後を追うようにして走り出した。