ひまわりと飛行機雲 . 7

「…中々筋が良いんじゃないか?」
「そう、なんですか?余り経験がないんで自分では分からないんですが…」

下手なお世辞だと分かっていても、あまり悪い気はしなかった。
不器用ながらも自分との接触を試みてくれる大塚に感謝しながら、それに応えるように永野は腕を振るう。
白球がミットに収まる小気味良い音が、一つの調子を織りなしているようだった。
ただ無心にそれを目で追い、捉えてまたそれを投げ返す。その繰り返し。

昼に比べ日が落ちたとはいえ夏真っ盛りの父島。
夕日が差す運動場で、永野は汗だくになりながら一定の動きだけに意識を向けた。



5限目、教室に石塚さんの姿はなかった。

まさか。と思ったが、素行不良と言った言葉からは無縁のあの人のことだ。先生も不思議そうにしていた。
…まぁ、その場に居たら居たらで、誰も彼もが目を逸らすような状態であることは明白だったが。
もう、この日を境にあの家に住人として戻ることはないというのに。


何故、朝方ばったり大塚とぶつかって石塚の機嫌がすこぶる悪化してしまったのか。
何故、大塚と昼を食べていて石塚の不機嫌に拍車を掛けてしまったのか。
そして…何故「放課後のキャッチボール」という意図が掴めない謎の行為へと話が飛躍するのか。

運が無かった、間が悪かったと言えばそこまでかもしれない。
それに、誰だって思いもよらない出来事が立て続けに起こったら驚きもするさ。当たり前じゃないか。
それにしても…出来すぎている気がするのは考えすぎだろうか。


物思いに耽る永野の頭上をボールが飛び越えていった。
我に返った永野は考えを振り切るように一度かぶりをふる。

「…すみません。取ってきます!」

そしてすぐにその後を追った。
ボールは遠く校舎の玄関付近へと転がり、そこに居た人物の靴に当たって止まった。
足下に転がるボールに気付き、それを拾い上げる。

「はい、どうぞ」
「嶋さん…ありがとうございます」

差し出された手にボールを乗せる嶋。
礼を言ってそれを受け取る…はずだったが、嶋は手を離そうとしない。
訝しんで嶋の表情を窺う永野に、嶋は独り言のように素っ気なく言った。

「石塚さんは、酷く気に病んでいる様子でした」

永野の顔が途端に引きつる。
業後、石塚の様子が気になった嶋はすぐに探しに行ったらしい。
…大塚に誘われていたからと、自分を納得させ石塚から逃れようとしている自分に、永野はようやく気が付いた。
このままではなんの解決にもならない。
そんなこと分かっているのに、いざとなると途端に尻込みしてしまう性分が恨めしかった。

「…偶には素直に接してあげてください」
「…貴方には関係のない話でしょう」
「本当にそうでしょうか?」

嶋に真摯な目で問いかけられ、思わず身が萎縮してしまうかのようだった。
…その通りだ。関係ないことはないのだ。
隊長があの様子では皆の士気にも少なからず影響するだろう。
それに、当人があの調子では…。

「…すみません」
「分かってくれれば良いんですよ」

茶化しながら言う嶋に永野の顔が緩む。
ボールから手を離した嶋は踵を返しざま、永野に向かって戯けたように笑って見せた。

「そうですねぇ…人恋しそうな様子でしたし、いっそ抱きしめてあげたらどうです?」
「だ、だから石塚さんとは…!!」
「…その発言は頂けませんねぇ」

先程と同じ文句を口走りそうになった永野を嶋は目で制した。
思わず両手で口を塞ぐ永野に背を向け、誰にでもなく呟く。

「何事も実践あるのみです。…要は、伝われば良いんですよ」


今度こそ何処かへと歩み去っていった嶋の背中を呆然と見遣りながら、永野は放心してその場に突っ立っていた。

「…伝われば、か」

ずっと遠くから様子を伺っていた大塚が痺れを切らして駆けてくる。

「永野?どうした」
「あ、いえ…すみません」
「…今日はこのくらいにしておくか。また暇が有れば相手をして欲しいんだが…」
「…そうですね。僕で良ければ、またお願いします」

大塚が頷くと、永野もつられて笑みを向けた。
夕日が校舎の白い外観を赤く染める。
…そう言えば、今日から僕の帰るところはあの家じゃないんだった。
すっかりその事を忘れていた自分に呆れながら、同時に石塚さんは一人でも大丈夫だろうかと不安になる。

「…なんで僕があの人のことを気に掛けなきゃいけないんだ…」
「何か言ったか?」
「いえ、何も…」

小さく溜息を落とす永野を、大塚は気難しげな顔で眺めていた。
掛ける言葉が思いつかずに、そのまま時が過ぎる。
夜の帳が徐々に近付きつつある校庭で、手持ちぶさたに佇む長い影が2つ。

「……」
「……」

今度は大塚が永野には気付かれないように、深く溜息を吐いた。