ひまわりと飛行機雲 . 5

教室の方角が何やらうるさい。
騒音、継いでなにやら大きな喋り声。

しかしそんなことに気を取られるまもなく、早々に教室を立ち去った石塚は通信室のデスクを陣取って書類との睨めっこを繰り広げていた。


とんとんとんとん


忙しなくシャープペンを紙に打ち続けては、苛立たしげに頭を掻く。
紙を丸めてゴミ箱へと投げるものの、それは中に入ることなく地面に転がった。
ゴミ箱の周囲には同じ経緯で投げ捨てられたのだろう、元書類の残骸がいくつも転がっていた。
クラスメイト達の騒音と足音が近くなる。
ようやく昼食を摂ろうと移動を始めたらしい。

「…賑やかだな」

本来ならば五月蠅い、というところを辛うじて堪える。
…このままでは埒が明かない。
耐えかねた石塚は手元の弁当を持って大儀そうに立ち上がると、クラスの大半が向かう食堂を避けて外へ行こうと部屋を出た。

「………」

しかし、足は考えとは逆の方向へ向かおうとする。
困ったように立ち止まって、そのまま数分が経過した。



不意に背後から手が伸び、石塚の肩を掴む。
反射的にふり向いた石塚は僅かに表情を緩ませた。

「どうしたんですか?委員長」
「……嶋君か」
「こんな所で立ち止まって、どうかされましたか?」
「…いや、何でもないんだ」

そうですか、と余計な詮索はせずに嶋は気の抜けた顔で笑みを向けた。
石塚も表情の強張りを解いてみせようと試みるが、それも徒労に終わる。

「無理なさらなくてもいいですよ。食事、まだでしょう?付き合いますよ」
「…悪いな」
「いえ」

そのまま連れ立って食堂へと歩を進める。
唐突に嶋が声の調子を落として話しかけた。

「ずっと恐い顔してるんで、みんな怖がってますよ」
「…そうか」

それ以上の言葉は続かなかった。
普段みたく、自制できれば苦労はしないのに。
それもこれも、永野が突然出て行くとか言い出したり、朝の出会い頭にあんなことになるから…。

(でもこのままじゃ良くないよな…)

分かっている。片意地を張っても仕方がない。この際、腹を括って永野に謝ろうか…。
永野なら、ぎこちなくてもきっと何もなかったように接してくれるはずだ。

すでに食堂は目の前だった。
やはり中からは先程の喧噪が聞こえてくる。
石塚はその空気が冷めることを承知で、一歩を踏み出そうとした。






遡ること一刻半。

永野は執拗に付きまとう野次馬から逃れようと、大塚を連れて食堂へ駆け込んでいた。
取り敢えず一緒に昼食でも、と提案したまでは良かったが

「……」
「……」

気まずい。
周囲が賑やかに談笑を繰り広げる中、向かい合って座ったまま、会話と言った会話もなく食べ進める二人の姿はどこか周囲から浮いていた。
そういえば、大塚とまともに言葉を交わしたのは今朝が初めてだったかもしれない。
時たま大塚に視線を送る永野だったが、大塚は意に介さずと言った体で黙々と麺を啜る。
落ち着かない永野がまたちらりと大塚に目を向けたときだった。

手を止めてじっと永野を見ていたらしい大塚。
どこか観察しているようにも思える探るような目が、顔を上げた永野の視線を捉えた。

「…えっと」

…気まずい!!!
焦りから思わず顔を赤らめ、必死に言葉を探す永野に気付いているのかいないのか、大塚が短く言葉を掛けた。

「…弁当、自分で作ったのか?」
「…ええ…まぁ、そうですけど」

思いもよらない質問に素っ頓狂な声で答える永野。
大塚は低い声をさらにひそめるようにして言葉を継いだ。

「…石塚と一緒に住んでるんだってな」
「そうですけど…それが、何か?」
「いや、石塚の弁当も外見が同じだったから…お前が作ってるのかと思ってな」
「ああ、成る程…」

やっとまともな会話が成立して、大塚は僅かに表情を和ませた。
そういえば、石塚さんもこんな笑い方をしている時がある気がする…。

…何を考えているのだろう。この人は石塚さんではないのに。
少し似ているだけ。…そう、似ているだけ。
無意識の内に見知った人の面影を探す自分に気づき、永野は僅かにかぶりを振った。

「…仲が良いんだな」
「そう、なんでしょうか…」
「嫌いな奴と一緒に住もうなんて、考えないだろう?」
「…住むって言っても、半強制的だったんですけどね…今日からやっと新居が手配されたんで、そっちへ移るんです」

場を取りなすように努めて明るく話してみせる永野。
それを見た大塚が、眉根を寄せて僅かに訝しむような素振りを見せた。

「野暮なことを聞くが…その、小耳に挟んだだけなんだが…」

歯切れの悪い口調に永野が疑問符を浮かべる。
引っ込みが付かなくなったのか、大塚は意を決したように逸らしていた目を永野に向けた。

「お前と石塚が、その……付き合ってるとか聞いたんだが」


「いっ、石塚さんとはそんな関係じゃありません!!!」



間髪入れずに永野は大声で大塚の言葉を遮る。
椅子を蹴倒して立ち上がり、身を乗り出す永野の勢いに押されて大塚が僅かにたじろいだ。
突如静まりかえった周囲の面々が何事かと永野に視線を集める。
途端に顔を真っ赤にした永野が控えめに咳払いをした、直後。

「…どうしたんです?石塚さん」

「石塚さん」と聞いて永野の紅潮した顔が一気に青ざめた。
動くことを拒否するように回らなくなった首を、辛うじて食堂の入り口へ向ける。

そこには嶋と並んだ石塚が、別段変わらない表情で佇んでいた。
大塚へと身を乗り出したまま動けない永野に一度目を向けた後、石塚は表情を変えることなく踵を返しあっという間に姿を消した。

「…地雷でしたね」

嶋の呟きが気まずい空気の中にこだまする。
腰が抜けた永野は再び椅子に座り込んだ。両手に握り拳を作り、机の上に押しつける。
一瞬石塚から発せられたどす黒い障気に当てられたか、小刻みに震えるそれを眺めながら、大塚は硬い顔で何かを考え込んでいた。
やがて時が止まったかのように全てが動きを止めているその場で、一人納得したように頷く。



気温は最高潮。
蒸し暑い中、止んでいたはずの蝉の鳴き声が今になって騒がしいほどに辺りに響きだした。