ひまわりと飛行機雲 . 2

8月を以て、この島の放棄が決まった。

それと共に賭けという鎖も、壊れた。




「石塚さん、味噌汁といつまで見つめ合ってるんですか。遅刻しますよ」

石塚に声をかけつつ自作の味噌汁をすする永野。平和な朝食風景だ。

「ああ、そうだな…」

どこかうわの空で返事をしている石塚は、「これが永野との最後の朝食なんだ」という石塚自身も信じられないほどの乙女のような感傷に浸っていた。
永野の方は平常心を装ってはいるが、前夜からこの味噌汁の用意をして最後の晩餐に備えていたことを石塚は知っている。
おかずも朝食にしては豪華で心なしか白米の盛りもいい。
そんな永野の心遣いを嬉しく感じて、余計にこの家から出したくないと惜しむ気持ちが募る。
眉間に皺を寄せて思案気な顔のままで醤油を取ろうと手を伸ばし、塩鮭に軽く振りかけてから元に戻し、箸を手に取って、

「ん」

何か肘に硬い感触。次いで、落下した水分が床に叩きつけられる音。

「あー!ちょっと何やってるんですか!」

ついでに永野の叫び声。音のした方向を見て石塚は自分の失敗を恥じた。
永野謹製の味噌汁が豪快に床にぶちまけられている。他でもない、石塚の不注意が招いた悲劇だった。

「いや、悲劇は大げさかな」
「ぶつぶつ呟いてる暇があったらはやく布巾を持ってきてください!」

言うと永野はしゃがみこんで早速具を拾い集めている。後で三角コーナーに放り込んでおくのだろう。

「永野、ごめんな」
「いいですから!」

早く布巾を、と言いたげに片方の手をヒラヒラしてみせた。スイッチが入ったように石塚は素早く布巾を永野に手渡す。
朝食をあらかた食べ終えていた永野は片付けを優先し、することもない石塚は味噌汁を注ぎ直して食事を再開した。
せっせせっせと後始末を終え、ここまできたらと床の水ぶきを始めた永野の背中に話しかける。

「時間、大丈夫か?早めに寮に行って部屋の確認をしておくんじゃなかったのか」
「は?…ああ!そうでした」

今日の放課後から寮に入るのだが、几帳面な永野は登校前に着替えなどを詰めた鞄を運び込んであてがわれた自室の整理をしておこうと思っていたのだ。
本来なら食器の後片付けを石塚に任せて寮へ向かっている時刻である。
反射神経の良い石塚にしては珍しいぶちまけ事件のせいですっかり忘れていたらしい。
しかし永野はそのことに気付いても手を止めることなく 床を拭き続けている。

「いいのか…?」
「今から行ったら遅刻をしてしまう可能性があるので、部屋に行くのは放課後に回すことにします」
「あ、じゃあまたこの家に寄るんだな」

表情が少しだけ明るいものになる石塚から目を逸らして告げる。

「…いえ。鞄は学校に持って行きます。先生にもきちんと説明をすれば不要物として罰則を受ける事も無いでしょう。もともと服くらいしか入ってませんから」
「…そうか」
「ええ…」

気まずい沈黙の降りる家の中とは裏腹に、空は澄み切った青色。

浮かぶのは照りつける太陽と…見事な飛行機雲。




「綺麗だな…」

通学路を行く足を止め、思わず呟いたのは浅黒い肌の少年。
額の傷の上に手をかざして日影を作り、眩しそうに目を細めて飛行機雲を眺めている。
石塚弘の従兄弟であり因縁の相手、大塚浩二だった。