8月を以て、この島の放棄が決まった。
それと共に自分がここにいる意義も消えた。
鏡台の前で入念に制服を正す永野。
襟元、ネクタイ、頭髪…よし。普段通り指差し確認も怠らない。後は朝食を済ませて家を出るだけだ。
ふと、部屋の隅に目をやる。
そこには自分の私物…といっても精々替えの服と下着くらいしかないのだが。が全て詰められている鞄があった。
「永野ー飯の支度は?」
「い、いつの間に後ろに回り込んで…離れて下さい暑苦しい!!」
永野の背後から腕を回しながら石塚は思った。
暑苦しいのはお前の服装だ、と。
「あのな、永野…あまり言いたくないんだが、その服装で学校へ行くのは死にに行くようなものだぞ?」
「でも、決まりですから。…耐えます。根性で」
まだ朝だというのに外では日が照りつけ相も変わらず気温は高い。今日も今日とて例外ではなかった。
きっちり着込んだ冬服は既に気温のせいか暖まっている。
石塚は仕方がない、と言わんばかりの大きな溜息をつくと、永野を解放した。
真っ先に手近なところにあったうちわを引っつかむと必死に扇ぎ始める永野。
「…うちわは扇ぐときにエネルギーを消費するから、結局疲れるだけだそうだぞ」
「要らん世話を焼かんでください!あなたも、今日からはちゃんと学校へ通ってもらいますからね!!」
「…わかってるよ」
不服そうに呟く石塚を、永野は一度困ったように見て、小さく唸った。
石塚さんが気落ちしているのは、学校へ行かなければならなくなったからでも、腹が減ってるからでもないのだ。
いくら鈍い自分でもそれくらいの察しは付いた。
…昨日それを話した時からずっとこの人は調子だからだ。
「永野」
「もう決めたことですから」
「…本当に出ていくのか?」
「本当に?」と念を押されて思わず押し黙る永野。
…仕方がないのだ。住む場所が他に与えられたのだから。
ちゃんとしたマンションだからこのボロ屋より生活環境も遙かに整っている。言うこと無しじゃないか。
答えない永野に焦れたか、石塚が畳み掛けるように言葉を継いだ。
「別に家なんて住めればいいじゃないか。それに賭けだって…」
「…もう貴方は賭けの勝敗にかかわらず、この島を出なければならないんですよ。石塚さん」
言いながらも恐る恐る石塚の顔色を窺う。
別段変わったところはない。朝だからか、若干眠そうにしているような気がするが。
しかし元々表情の変化に富んでいるタイプではないため、少しの感情が表立ってしまうのもこの人だった。
今は寂しそうな、というよりは…不機嫌な顔をしている気がする。
「さぁ、さっさと飯を済ませて行きましょう!誰も居ないうちに教室の掃除でもすれば気も晴れますよ!」
取り直すように永野が努めて明るい声を出すと、つられて石塚の口元が緩んだ。
それを見た永野がようやく肩の力を抜く。…今日も一日疲れが溜まりそうだ。
永野は着付けたエプロンを取り出しながら台所へ向かった。
石塚は一人部屋に佇みながら、隅の鞄を目に留める。
(結局、別に部屋を用意することもなくずっと一緒に布団並べて寝てたな…)
別に空いている部屋がないわけではなかったのだ。
どうせ同じ屋根の下なら同じ部屋の方がなにかと都合が良いという極個人的な了見で、無理矢理二人一緒に寝ていたのだった。
しかし永野もそれを嫌がらなかったところを見ると…やはり、都合の良いように考えてしまう。
「石塚さーん!なにやってるんですか!?」
「今行く!」
大方、手が離せないから手伝いをして欲しいのだろう。
永野が料理を作っている最中に僕を呼ぶときは決まってそうだ。
「…わかっている」
誰にともなく呟いた石塚は、再度部屋を一瞥すると永野の所へ向かった。
(明日から元の一人暮らしに戻るのか…それもいいさ)