ひまわりと飛行機雲 . 14

「石塚が憎いか?」と聞かれれば躊躇いなく否定できると思っていた。
憎まれこそすれ、自分が石塚を憎むのはお門違いだと。心からそう思っていたのだ。
なのに、嶋からの問いに大塚の心は揺らいだ。
永野にあんな悲しそうな顔をいつまでさせているつもりだ、と少なからず石塚へ憎しみと憤りを感じていたのだ。、
しかし、嶋の読みは間違っている。大塚は石塚が憎いから永野を奪いたい訳ではない。
ただ、同じ人に惹かれてしまっただけ。
これだけは、胸を張って応えられる真実。

「…永野!」

曲がり角に消えそうになっていた永野の背中を目に留め、大塚は慌てて大声を出した。
会議室へ進めていた足をぴたりと止めて永野は律儀に大塚へ向き直り、不思議そうな顔をした。そこには焦りも滲んでいる。

「大塚さん…?ああ、話の途中でしたね。すいませんが、急用が出来たので続きは後にして貰えますか?」

早口で告げる永野に、大塚は敢えてゆっくりと話しかける。無理矢理にでも永野を引き止めそうになる自分を必死に押さえつけて。

「別に大した用じゃないからいい。それよりも…これから石塚の所に?」
「はい。その…和解、したいと思いまして」
「あいつは確か会議室に居るんだよな…どうせ行くんなら、茶か水でも持ってってやれ。きっと喜ぶ」

それどころじゃない、と怒鳴られるかもしれないという危惧もあったが、永野は素直に頷くと大塚に軽く頭を下げた。

「なるほど。そこまで考えが至りませんでした。ご忠告、感謝します」
「あ、いや、礼を言われるほどの事じゃ…」
「いえ、ありがとうございます。自分は余裕を失っていました」

感謝と尊敬の入り混じった瞳で見られていると罪悪感が湧き上がってくるのを感じる。
ただ単に、石塚と永野が不仲のうちに永野と親しくなるというのはフェアでない気がしたから、二人が信頼関係を取り戻すまで一度身を引く決心を固めただけなのだ。
忠告とは遠くかけ離れた、石塚に対して余裕を見せ付けているだけの発言だと言われればそれまでなのに、ここまで純粋な言葉をかけられると困惑してしまう。
これ以上この瞳と向き合っていられる程の自信がないと悟った大塚は、早く行けとばかりにひらひらと手を振って見せた。
永野は得心したように頷くと、もう一度大塚に礼をして食堂の方へ駆けて行き、とうとうその背中は大塚の手の届かない範囲へ消え去ってしまった。

「これで、良かったんだよな」

裏でこそこそするなんて自分には向いていないのだからと言い訳がましく一人ごちた。



戦いの予感を察知し、悩みを一時脇に避け背筋を伸ばして事務仕事に没入していた石塚の耳朶を一定のリズムを刻む音が打った。
何処の軍隊に出しても恥ずかしくないその足音は、石塚にとっては聞きなれた律動。
そんなまさかと溜息をついて、仕事の友だったペンを静かに卓上に置き、息を潜めて耳を澄ませてみたが、どう聞いてもそれは永野の足音だとしか思えない自分がいる。
とうとう幻聴が聞こえるようになったのだろうか。
そう訝しむ石塚の気持ちとは裏腹に靴音は会議室のドアの前で最後の一音を放ち、止まった。
早くなる心臓の鼓動を抑えきれず、石塚は息が詰まりそうになり何の意味も無いと知りながら拳を胸に押さえつけた。
緊張に固まる石塚を他所にドアの前からは悠長な深呼吸が微かに聞こえ、続いて小さな小さな声で、

「よし、行くぞ。行くんだ、頑張れ英太郎」

くっ、と反射的に石塚の口から笑いが漏れ、肩に入っていた力も抜ける。
体中に張り巡らされていた重いものがふっと抜けて昇華したような気がした。
ああ、いつもの永野だ。
意を決してノックしようとしている永野がドア越しに目に浮かぶ。
柔和に瞳を細めて石塚はすっと息を吸い込み、離れていた時を感じさせない自然さで名を呼び、招いた。

「どうぞ、永野」
「えっ?あ…は、はい!失礼します!」

意気込みを表すように力強く開けられたドアの風圧を受けて、部屋の空気の流れが変わる。
きっと、良い方向への風だ。何の根拠もなく石塚はそう思った。思いたかった。
永野が無言で石塚の前まで歩み寄り、ゆっくりと目線を合わせた。石塚も穏やかに見つめ返す。
水の入っているガラスコップが二つ載った盆を思い出したように机の上に置き、姿勢を正した永野が再び石塚を見据え、

「石塚さん」
「うん?」
「仲直り、」

仲直り、しませんか。たったそれだけの言葉は、無粋なサイレンでかき消された。
間を置かず、スピーカーからのひび割れた音声が現実を告げる。

『幻獣が出現しました。関係各隊は速やかに出撃して下さい。繰り返します…』