隊長日和 . 8

瞬間我に返った永野は拘束を振り切ると中途半端にはだけた身なりで家中を逃げ回った。
どたばたと騒音が起きたと思えば傷んだ床の軋み音までする始末。
石塚は永野の背を追いながら近所に家が無くてよかったなぁと一人ごちた。
…まぁ、そうでなければ縁側で行為に及ぶなんて大胆なことしたら永野の思考は追いつかなくなって色んな意味で自爆するだろうが。
それもまた一興と、石塚は笑いながらすんなり納得する。


まるで獲物との追いかけっこを楽しむかのように敢えて徐々に距離を詰める石塚。
差は既にあってないようなもので手を伸ばせば肩に触れるところまで迫っていた。

「なんで追いかけて来るんですかぁああああ!!!!」
「逃げるものを追うのは獣の習性だ!」
「貴方は人間でしょうが!!!」

永野はただがむしゃらに逃げたつもりだったのだろう。
しかし場所が場所だ。それほど広い家でもないために逃げ場も少ない。
石塚の巧みな転機と計算によって遂に永野は寝室へと追いつめられる。背後の壁に背を付きこれまでかと諦めそうになる永野。

「さぁ、大人しくしてれば悪いようにはしないから俺に任せるんだ。永野」
「貴方に身を任せたらこっちの体が保ちませんよ!!」
「別に保たせようなんて考えてないから良いんじゃないか?」

石塚、良い笑顔で即答。
がっちりと肩を捉えられた瞬間、穴という穴から嫌な汗が噴き出す。
永野はこの瞬間真の意味の恐怖というものを味わった。
このままでは貞操が危ないどころではない…!!

だめだ。考えろ永野英太郎。この絶望的な状況を打開する方法を…!!
ここで考えずしてどこで頭を使う!

…そう言えば、戦場で受けるストレスは日常生活の比ではないとかなんとか。
そこまで神経を摩耗して戦うのだ。過度にかかる負担に気を病む者も居るだろう。
戦場という極端に娯楽に恵まれない場所でどうやって鬱憤を晴らすのか。
手っ取り早いのが、まぁ…いわゆるそういう行為だったりする。


(…そうだ。石塚さんは普段から気苦労の絶えない人だ。きっとそれで神経を磨り減らしたすえ欲求不満になっている違いない)
(そうか、そうだったのか…なのに、俺はこの人の心情も察することが出来ずいつも突き放してばかりいた。
それに痺れを切らした石塚さんが少々強引な手段に踏み切っても仕方のないことなのかもしれない…)
(…いや、まてよ。やはりこう言うのは相手の承諾あってのことじゃないのか?曲がりなりにもその…まぁ、こういう行為は愛を持ってだな…!!)


「愛が…愛があれば……」
「…永野」
「……は、何ですか?」

せっかくの雰囲気とヤル気をぶち壊しにする永野の間抜けな返答には石塚も思わず半目になった。
手はいつのまにか忙しなく動いていたが、永野はそんなことお構いなしといった風にどこか上の空で固まっている。

「…さっきから何をぶつぶつ言ってるんだ?」
「石塚さん…!!石塚さんは…俺に愛を持って接してくれているんですよね!?」
「………今更何を言い出すんだ、永野」

頭から冷水をかけられたかのように石塚の表情が凍り付く。

─今、何と言った?愛?愛がなんだって?それこそいつも呪文のように囁き続けていたじゃないか。
まさか伝わってなかったとでも言うのだろうか。いや、確かにどこか冗談と受け取っていた感はあったがまさかそんなはずは…
流石の石塚もその発言にはヘコんだ。

手を止めるとあからさまな落胆のため息を吐き、項垂れる。
これはこれで効果絶大だったのだが、何が何だか良く分かってない永野はいつにない状況への焦りと少しばかりの安堵感を覚えつつ取り敢えず狼狽えた。
…しかしどこか、綯い交ぜになった感情の中に覚えのないものがあることにすこし疑問を抱く。
永野は思わず眼前の石塚への注意を逸らし思案に浸った。
……認めたくないが、もしかして俺は石塚さんに─…期待、していた?
その時異常な思考の切り替えを見せた石塚が再び永野の肩を鷲づかみにすると半ば引きずり降ろすかのように畳の上に組み敷いた。

「…これほどやってもまだ分からないなら幾らでも教えてやる。その身を以て俺の愛を知るんだな、永野」

普段なら恐ろしすぎて目を背けてしまうような形相の石塚を永野は呆けたように見詰めていた。
気付いてしまえば至極簡単なもので、妙な高揚感を覚えつつ永野は初めて自分から石塚の背に腕を回した。