疾走少年 . 3

人もまばらな市街を抜け、海岸沿いの道を歩く。
これと言って急いでいる訳ではないのだが、元々の歩調が早い所為で目的地の到達までにそれほど時間は掛からないだろう。
それにしても、昨日の戦闘は随分と街に近い場所だった。
人の生活する区域にまで敵が迫ってきているということは、敵は着実に行動圏内を狭めてきているということにも取れる。
言いようのない不安と焦燥に駆られ、それを遠ざけるかのように永野は目先の海岸を眺めた。

目を閉じれば、押し寄せては引いて行く小波の音が聞こえた。
耳を塞げば、思いの外強い潮の匂いが鼻孔を擽り爽やかに肺を満たす。
もう自分は躊躇うことなくその言葉を言うことができるだろう。
この場所を守りたいのだと、切に思った。

「…永野、か?」

聞き覚えのある声にふり向くと、見覚えのある姿がそこにあった。




「まさか、こんなところで会うとは思わなかったからな。それになんだか雰囲気がいつもと違って見えたもんだから…」
「どういう意味です?」
「その、なんというか…上手く言えないんだが」
「無理にとは言いませんよ。大塚さんこそ、こんなところでどうしたんです?」

質疑応答を繰り返すことで場を繋ぎながら、互いに足は同じ方向を目指して歩き始めていた。
まだ日は高く、じりじりと容赦なく照りつける日差しに流れる汗を拭う。
大塚はさきほどからどこかそわそわと落ち着かない様子で、永野の様子を伺っているようだった。

「いや…武田とチャッチボールをしようと言っていたんだが、昨日の戦闘で損傷した戦車の点検があるとかで、断られた。それでぶらぶらとしてたら、お前を見つけたんだ」
「久々の戦闘でしたからね…まあ幸いなことに損害と言っても大したことはなかったようですし」
「そう言えばお前…今度から人型に乗るんだって?調整があるからって聞いて驚いた」
「ええ、まあ…」

ああ、そういえばそんな話を酷く事務的な面の皮を被った石塚さんから聞いた気がする。
確か昼頃だったか。まるで何でもないことのように会話に挟まれたその言葉に一瞬耳を疑った。
考えただけで胃がむかむかしてきて、永野は曖昧に返事を返した。

正直、もう人型戦車に乗るのは御免だと思っていた。
良いこと悪いこと、色々と思い出してしまうものがある。
それが未だに心底にある僅かな怯えを、弱さを晒すように思えて、意識して避けてきた。
それは石塚も同様なのか、海岸線では遮蔽物が少なく大きいものは恰好の的になるからと、当たり障りのない事を言って使おうとはしなかった。
幸いにも他に代わりの車両はあったし、自分も戦車兵でありながら歩兵としてもそこそこ戦えたのでなんとかやってこれたのだ。今までは。

しかし状況が状況だった。そんな甘いことを言っている場合ではないのだろう。
敵は父島撤退の日を目前にして、強勢を極めつつあった。
今までは他の部隊が積極的に敵に当たっていたようで、此方にまで敵が回ってこなかっただけらしい。
今後の戦力の増強を図るという石塚の意図も良く分かっていたつもりだったが、反発せずには居られなかった。
─どうして自分なのですかと。
根拠などあるに決まってる。だから自分なのだ。下らない。そんなこと分かっているのに。
愚問とも思える口答えに、石塚は誰にともなく皮肉ったような笑みを口元に湛えながら短く告げた。
君が、一番適性が高く相性がいいんだ。分かってくれるね─?

「…そんなこと、言われなくたって知ってますよ」

そして貴方はまた僕に戦えって言うんでしょう?言われなくてもそうさせてもらいますよ。
それが僕にできる最大限の生きる努力でもあるのだから。

「何か、言ったか?」
「…何でもないです」

大塚は俄に黙り込むと、あまりいい顔をしていない永野の様子を察してか、あえて気にする様子もなく言葉を続けた。

「それにしても唐突だな。そりゃ非常時に備えて整備こそすれ、今までずっとハンガーの奧で持ち腐れてたってのに…」
「状況が変わったんでしょう。それこそ、今まで出し惜しみしてたんじゃないですか?」

爽やかに言った言葉の節に僅かな皮肉を込めると、大塚も小さく笑ってそうかもな、と答えた。
今日は無風で海面の波も穏やかだった。
近所の子供達が群れながら波打ち際で遊んでいるのが見える。少し離れたところでは、やはり地元の人らしい老人が釣り糸を垂らしているのが分かった。
こんな情景を眺めている分には、いつ敵が攻めてくるかもしれないという危機感など微塵も感じないのに。
僕らは、所詮戦争の中に生まれ戦争の中で死ぬんだろう。そういう運命を背負わされた人種なのだ。
それでも、この風景を見ていると一瞬だけ戦争が遠いどこかの出来事のように思えた。





「…結局、この部屋入ったのは僕も大塚さんも一度きりになってしまいましたね」
「仕方がないさ」

暇を持て余す大塚に付き合ってもらい元新居に赴いた永野だったが、その跡地たるや散々な有様だったことは言うまでもない。
既に住居などと言えるものではなかった。
コンクリートの打ちっ放しで無味簡素な印象を受けた外観など微塵もない。文字通り粉々だった。いっそ清々しいほどに。
本当に周辺の住民の避難が早速と済んでいて良かったと思う。そうでなければ大惨事は免れなかっただろう。
この建物に限らず、他にも倒壊している家屋が目に付いた。

「昨日は回りを見る余裕がなくてああ崩れたな、程度にしか思ってなかったんですが…」
「改めて見ると…酷いな。この瓦礫はどうするんだ?」
「このままじゃないですか?きっと除去する手間も予算もないでしょうから。…パズルみたいに、壊れてもまた組み立てられれば楽なんでしょうね」
「違いない」

一通り様子を見て回っていると、不意に後を付いてきていた大塚が口を開いた。

「今日は、どうしたんだ?」
「何がです?」
「いや、普段なら訓練もせずにぶらぶら歩いてる奴見かけると『暇なら暇でやることがあるでしょう』、とか言って怒るだろ?」
「…今は休業中なんです」
「何だよ、それ」

心底可笑しそうに笑った大塚を見て、永野は驚いたように大塚の顔をしげしげと眺めた。

「…何だ。俺が笑っちゃいけないのか?」
「いや、そうじゃなくて…初めて見た気がして。大塚さんがそんな風に笑うの」

冗談を言うような口調であははと笑ってみたが、大塚は気難しげな表情を作ると押し黙ってしまった。
なにか気に障るようなことを言っただろうか、と内心戸惑いながら永野は周回を続ける。
これといって何があるわけでもなく、なにかしにきたわけでもない。ただ状態を見ておきたかっただけなのだから既に目的は完遂されていた。
困り果てて、そろそろ行きましょうかと声を掛けようとすると、逆に声を掛けられた。

「…この前、またキャッチボールに付き合ってくれと言ったのを覚えてるか?」
「え……あぁ、覚えてますけど、それが何か?」
「いや、そのキャッチボールに付き合う暇を石塚のために使った方が良いんじゃないかと思ってな。あいつ、いつも将棋の相手探してるだろ?一緒に住んでるんならお前がなってやったらどうだ」
「そ、それとこれとは別でしょう。それに、将棋なら嶋さんが…」
「お前は……のか?」
「え…?」

遮るような言葉の最後は上手く聞く取れなかった。
どことなく様子のおかしい大塚は、気難しげな表情の眉間に皺を刻みながら「もう行くか」と呟き、先だって歩き出した。

「お、大塚さん!…一体なんなんです」
「さあ、なんだろうな」
「はぐらかさないでください!」
「てっきり灸を据えられたものと思っていたんだが、…お前は気付いてないのか?」
「…何が、ですか?」

煙に巻かれているような気がして不服に顔を顰める永野に、大塚は溜息と言葉を交ぜて吐き出した。

「…俺に関わっているから、あんなことやこんなことになるんだ」