疾走少年 . 1

寝苦しい夜が明けて、暑苦しい朝の空気に蒸され目を覚ます

こうして夏は満ちて、何れ引いていくのだろう


暑さからか、それとも疲労がまだ残っているのか妙に気怠い。
ふと気を許せば再び心地良い微睡みに落ちてしまいそうになる自分を必死に奮い立たせて、永野は上体を起こした。
そのまましばらくの間、ぼんやりとシーツの皺を見つめる。

「……そうか、夢か…」

なんだか昨日は散々な目に遭った気がするのだが…。それもよく思い出せない。
結局一人暮らしの体裁も整わないうちに石塚さんの家にとんぼ返りして、それと同時に安堵と疲労がせめぎ合い直ぐに寝てしまったのだろうと、思う。
靄がかかり不鮮明な記憶に釈然としないものを感じながら、永野は隣の布団に目を向けた。
石塚は決めたわけでもない、いつも通りの定位置…一人分ほどの間隔を空けて布団を敷き、静かに寝息をたてている…はずだったのに。

「やっとお目覚めかな?永野」

想像していたよりも遙かに至近距離にあるその人の顔に、思わず目元が引きつる。
普段ならある程度間隔を空けているはずなのに布団をくっつけた状態であるということは、つまり…。
怪訝そうな顔をした永野が不意に自分の衣服に目をやる。
確か、疲労が込み上げてきたので風呂にも入らず帰ってきたままの格好で、そのまま敷かれた布団へ倒れ込んだ…はず。
そして、眠りに落ちる寸前になってこの人が

「やられた…!」
「どうした?ああ…昨晩は流石に張り切りすぎたかな。何ともないか?」
「……やはり」

…本当に何事もなく寝てしまっていたのなら、第二までしか外していなかったはずのシャツのボタンが翌朝全部はずれた状態である説明が付かない。
無慈悲に突きつけられる現実に軽く目眩を覚え、布団に仰向けに倒れる。
身体が怠いのもきっとその所為に違いない。

「やはり、って…覚えてないのか?」
「思い出したくもないです…!」
「酷いなあ…お前があんなに僕に応えてくれるなんて、まるであの日以来だったのに…」
「わー!!わー!!!それ以上言うなー!!」

酷いのはどっちだ…!御陰で全ての記憶を喚起され、一気に真っ赤になった永野が抗議の声を上げる。
そんな永野に足蹴にされながらも、尚恍惚とした表情で回想に耽る石塚に永野は肌が粟立つ思いだった。
とてもじゃないが見ていられない。それにこんな顔も見られたくないと、俯せになって枕に顔を埋める。

「やっぱり貴方は鬼だ…鬼畜だ…!」
「意味が似通ってるよ?」
「そんなことどうでも良いです!」

御陰で余計なことを全て思い出してしまい、羞恥に駆られた永野は激しく自己嫌悪した。
僕の弱みの大半を握っているこの人のことだ。すべて計算尽くな行動であったという可能性も否めない。
なのにこの人が…この人が声を震わせながら、寝入る直前の僕の名前を呼ぶものだから。
疲れてるとか、眠たいからとか、そういった生理的欲求すら押し退けてこの人は我が侭という要求を押し通そうとするのだ。
ただ単に僕がこの人に対して甘すぎるとか、そう言った欲求に対して僕の意志が薄弱だからとか、要因はそれだけではないはずだ。
ああ、でもよく考えたら性欲も立派な生理的欲求じゃないか。欲求不満だとか決してそんなことは…。

いっそ庭に塹壕掘って篭もろうか、とまで考え始めた永野の頭に石塚の手が置かれる。

「まあ、これを機に永野には自重を覚えて人間関係もほどほどにして頂きたいね」
「…どういう意味です?」

短い髪を無造作に弄りながら、石塚は恐る恐る目を向ける永野に微笑み返した。

「昨日言ったろう?…これは不貞を働いた君への罰だって」

ああ、覚えてないんだっけ?と惚けながら永野の背中に密着して抱きしめてくる石塚の鳩尾に永野渾身の肘鉄が入る。
不意を突かれ悶絶する石塚の腕を解き、永野は怒ったような照れたような顔で咳払いをして身を起こした。

「さあ、朝から盛ってないでさっさと飯にしましょう。でないと遅刻しますよ!」

これが、僕の望んだこの人と共に過ごす時間なんだろうか。
この数日間の僅かで、それでいて大きな空白を埋めたいと思う気持ちをひた隠していることを除けば普段となんら変わりない、
いつもの朝が始まろうとしていた。