たまにはこんな夏の日も

日の当たる縁側とは対照的に、濃い影の落ちる居間で書類作業をしている。
それほど重要ではない、形式上必要なだけの書類。
適当にそれらしい言葉を繋ぎ合わせて筆を走らせていく。
頬杖をつきながらやってもいい位の気楽さだ。
同じような作業が続いてマンネリ化してきた所で、タイミングよく永野が戻ってきた。
彼は家の横に放置されている物置の整理をしていたのだ。
縁側の向こうから石塚さん、と呼びかけられる。

「今日もいいものが見つかりましたよ」

何か収穫があったのか、汗まみれになりながらも達成感に満ちた顔をしている。
ペンを置いて永野の方を向き、話を聞く姿勢を取る。
永野が隠すように背中に回していた手を前に突き出してきた。
宝物のように大事そうに永野が両手で持っていた物は、

「これは…かき氷を作るやつか?」
「そうです。箱に入っていたので、意外と保存状態は良かったんですよ」

まじまじと眺めて見る。
薄い水色の手動式かき氷機は、夏の日差しを浴びて誇らしげにプラスチックの機体を輝かせていた。
一言で言えば混沌、と称されるあの物置からよく使えそうなものだけをサルベージできるもんだと感心する。
現在、居間と縁側の中間にぶら下がっている風鈴も物置から出土された(あながち誇大表現でもない)ものだ。

「氷はありますけど、かき氷を作ってもかけるものが無いのが残念ですね」
「シロップか…この際、砂糖水でもいいんじゃないのか?」
「えらく貧相な感じがしますが…。ああ、みぞれだと考えればいいんでしょうか」

それで一応納得したのか、永野が縁側から居間に上がってくる。
そのまま台所へ歩を進め、手早く準備を始めた。
半ば冗談の発言がそのまま可決されてしまったことに面食らったが、それならこちらもさっさと書類を片付けてしまおうと、もう一度筆に手を伸ばした。



氷の削れる涼しげな音が居間に充満している。
使い慣れないかき氷機を、手動で懸命に回す永野を眺めていた。
こんなにも真剣な眼差しでかき氷を作る人間を見たことが無い。
「これ、結構腕の筋肉を使いますね」と永野が小さく呟いた。

「下の方を支えようか?それだけで大分楽になると思う」
「いえ、これも鍛錬だと思ってやっていますから」

申し出はあっさりと跳ね除けられた。今日に限ったことではないが、少し寂しく思う。
永野は自分で出来ることはなるべく一人でやりきろうとする性格だというのはよくわかっているつもりだが、つい手を差し伸べたくなる。
そんな自分も永野に負けず劣らず、他人の助けはなるべく借りない型の人間だ。
今でこそ永野の担当になりつつあるが、一人暮らしの頃は自分で家事全般をつつがなくこなしていた。
家の中の事を人に任せるなど永野が例外中の例外なのだ。
一人でも生きていける人間同士が、よく同棲なんてしているものだとしみじみ思った。



縁側に座って、風鈴の音を聞きながら砂糖水を振りかけただけのかき氷を賞味することにした。
余談だが、シロップだと自分に言い聞かせて濃い目の砂糖水を作る永野の背中に哀愁が漂っていた事を報告しておく。
スプーンで氷と砂糖水を馴染ませると、さくさく、という微かな音がした。
居間からは、永野が自分の分のかき氷を作るがりごり、という音がしている。
同じ氷を扱っているのに、なんとも対照的な音だ。

「石塚さん、気にしないで食べてていいですよ。溶けますから」
「じゃあお言葉に甘えて、先に頂くよ」

ええ、と短い返事。
それを聞いてから「いただきます」と言って、氷を口に含んだ。
感想を単刀直入に言えば、冷たくて、甘かった。
口当たりも悪くない。甘さも爽やかで、いくらでも食べれてしまいそうだった。
無心になって二口、三口と食べ進めていく。

「味はどうでしたか?」
「なかなか美味かったよ。…永野、スプーンは?」

出来上がったかき氷だけを手に持って、永野が隣に座っていた。
失念していたらしく、素早く立ち上がって台所に向かおうとするその足首を掴む。
永野の不思議そうな二対の目がこちらを向いた。

「なんですか?」
「わざわざ取りに行かなくても僕のスプーンを使えばいいじゃないか」
「なっ…!」

中腰になって永野の肩にまで両手を伸ばし、押さえつけて隣に無理矢理座らせる。
なんやかやと言われる前に、先程まで使っていたスプーンを永野のガラスの器に突っ込んだ。
そして前に向き直り、眼前に広がるいつもと変わりない風景を目を細めて眺めた。
沈みかけの夕日が、夜の到来を告げている。
地面には、雑草が何本か生えている。
そうやって、景色を楽しむフリをした。
同じスプーンを使うなんて、全く大したことではないと体全体で主張するように。
騒ぐほうがおかしいんだと、思わせるように。
ぐぅぅ、という猛獣が感情を抑えるような声がして。勢いよくスプーンを握る気配。
横目で左隣を盗み見ると、耳だけを赤くして仏頂面でかき氷を食している永野が居た。
その、かき氷を食べているとは思えない表情に笑いを堪えているうちにも、永野は高速で氷を消化していく。
食べ終わってから深呼吸を幾度かして、冷静さを取り戻した永野が口を開いた。

「そういえば、今日は出撃がありませんでしたね」
「良かった。かき氷機を片手に出撃なんて様にならないからな」
「そんなの持って行ったら幻獣に鼻で笑われますよ…。ああ、明日からまた頑張らないと。今日は機体の整備もせずに物置に構いっぱなしでしたから」
「まあ、たまにはこんな日があったっていいだろ」

永野が呆れた目でこちらを見ているだろうことが気配で分かる。
素知らぬふりをして、溶けた氷を胃に流し込んだ。
あまりにも緩やかに一日が終わろうとしているので、「出撃」という言葉が場にそぐわずにふわふわ浮いている様な気がした。
貴重な「学生」らしい夏の日だった。まるで夏休みの一ページのような。
自分達が「学兵」であることを忘れてしまいそうなくらいの、穏やかな夏の日だった。
そう、自分達は「学兵」なのだ。
「学」の後にもれなく「兵」を付けられた存在。学ぶ立場でありながら戦う兵士。
しかも、文武両道の域を軽く越えて存在意義が「武」に傾きすぎている。
それを自覚しているのに永野と日常の中で生きているといつの間にか、ただの「学生」の一人になってしまっていることがある。
…考えてみればおかしな話だ。
永野とは訓練中も戦闘中も関わっているというのに。戦争が無ければ一生出会うこともなかった存在なのに。
それなのに、彼と共に居ると学兵であることを忘れてしまう時があるとは。
とんだ腑抜けだ、と言われてしまえばそれまで。
だが、学兵として四六時中気を張って、日常を背に追いやってしまうのが本当に正しいことなのだろうか。
学兵は、何故戦うのかと聞かれれば。
日常を、ひいては人間という種族を守るためだと答える。
守るべきものを感じることもできないで、戦い続けることは出来るのだろうか。
戦うことの意味は形骸化しないのだろうか。
永野と共に暮すようになって、彼が日常を齎してくれるまでこんな事を考えもしなかった。
ただ生き残るために戦争をして、出撃が無い日は教室で学ぶ。それだけの日々だった。
永野はどうなのだろう。彼はここに来る前の場所で日常を、平穏を、共に感じる相手は居たのだろうか。
もし、自分とここで暮らすようになってから彼もまた日常を手に入れたのだとしたら…。
そこまで考えた所で、永野が「あ」と小さな声を漏らした。

「そういえば昨日、嶋さんからスイカを頂きましたよね」
「ん、そういえばそうだったな」

夏の風物詩で、食料不足の今となっては贅沢品とも言える果物が我が家にやって来たのは丁度、昨日の今頃。
「ボキから、夏の元気なご挨拶ですよー」という意味不明な言葉と共に、嶋からスイカが贈られたのだ。

「なんだってこんなものをくれるんだ?」
「あなたがたの笑顔がみたいから~ですよ」

妙な抑揚をつけて歌うように嶋は言った。どこかで聞いたはずのメロディー。
確かテレビから流れてきていたような気がするのだが、どうしても出所を思い出せなかった。
何も返せるものがないからと、永野と二人して断っても嶋は聞く耳を持たずそのまま帰ってしまった。
何故こんなものくれたのか、理由が未だに分からない。
解明される事の無い沢山の瑣末な謎の内の一つだ。
この程度の不思議なら世の中に腐るほど転がっているので、気にしないことにした。

「風鈴にかき氷、更にスイカ、か。夏らしさここに極まれりだな…」
「…切りますか?」
「ああ。ここまで来たら全力で日本の夏を堪能しようじゃないか」

永野が床に放置された二つの器に手を伸ばした。
これを片付けて早速スイカを切ってくるつもりなのだろう。
一種の職業病の発露なのかもしれないが、働き者すぎて心配になった。
素早く器を取り上げてから、永野に話しかける。

「このかき氷のお返しだ。スイカは僕が切ってくるよ」
「え、いや、僕が」
「いいから、座ってて」

よっこら、と立ち上がる。
ゆるい風が吹いて、風鈴が思い出したように鳴った。
穏やかで、それ故に貴重な夏の一日は、こうして幕を閉じる。