あなただけを見つめている

最近はなんだかやけに疲れが溜まる。
重い体を引ずるようにして、永野は校舎の玄関をくぐって外に出た。
気温は建物の中と大して変わらないものの、風が吹いている分いくらか外の方が涼しいとさえ感じる。
直射日光を避ける事の出来る場所であればの話だが。
しかし夕方にもなれば日差しも弱まり、多少は過ごしやすいというものだ。
立ち止まり、大きく伸びをすると今後の予定を頭の中で整理する。
買い出しには昨日行ったし、今日はその必要はないだろう。
石塚さんは先に帰っているはずだから、諸々の家事も済ませておいてくれているかも知れない、という希望的観測に縋りたいほどなのだから、今の自分は相当疲れている。
テストも近いので、そろそろ勉強も始めなければならないし、それから…。

「……ん?」

だれるのは家に帰ってからにしようと、気持ちを切り替え歩き出した目の先、校門の柱の傍に、なにかが見える。
目を擦り擦り距離を縮めるが、どうやら疲れ目が見せる幻覚とかではないらしい。
やはりまだ疑わしい気持ちを捨てられず、瞬きをしきりに繰り返しながら、永野はその物体の間近に迫り、しゃがみ込んだ。
驚いた様子で身をすくませた未確認物体は、それでも逃げることなく、此方のまばたきにあわせて、同じように目を動かしている
自身以上に大きなふさふさの長い尾に、大きな耳と見開いた目。
見れば見るほど正体不明の物体だ。

「ネコ、でもなさそうだし…リスにしては、でかい、か…?何なんだ?」

難しい顔でしばらく見つめ合った後、ふと思い出してポケットの中を探る。
昼に食べるつもりが、結局食いっぱぐれてしまったパンがまだ入っていた。
家に帰れば夕飯があるし、食べ歩きなど以ての外だ。
日持ちもしないので持っていても仕方がないだろう。
食べさせて良いものか判断に迷いつつも、封を切って差し出してみる。
不思議生物はそれを食べ物と見て取ったのか、狙いすましたかのように飛びついてきたものの、警戒しているのか、顔を近づけるだけで食べようとはしない。

「要らないんならいいんだぞ?」

語りかけるでもなく呟くと、それに反応したかのように、未確認物体は素早い動作でパンをくわえ、一瞬のうちに距離を取ってしまった。
少し立ち止まり、尾を揺らしたかと思うと、草むらに飛び込んで姿を消す。
しばらく消失地点を観察しながら立ちつくしてみたものの、それきり何もおこらなかった。
頭をかいて、踵を返す。
ふと、足もとに落ちているそれに気づき、さっきまでは何も無かったはずだと頭を捻りながら、永野は深く考えずにそれをパンの代わりにポケットに押し込んで歩き出した。



「なるほどね…多分、それはシマシマだよ」
「シマシマ?この島の天然記念物ですか?」
「まあそんなところかな。僕も名前くらいしか聞いた事ないんだが…この島の七不思議の一つだよ」
「初耳ですね。ちなみに、あと六つはなんです?」
「細かい事はいいじゃないか」
「…適当なこと言いましたね」
「そんなことはない。僕は見たことがないけど、子供には時々見えるらしいよ」
「何がです?」
「シマシマ」
「見えるって、どういう意味…」
「それで、これがその時落ちてたっていう幸運のお守りか?」

疑問をさり気なくスルーされてやや渋い顔になった永野が、頷いてそれを手渡す。
先ほど、石塚が永野の制服のポケットからそれを見つけるまで(どうして人の制服を探っていたのかは聞くまい)永野はそのお守りの入手経路を何故か忘れてしまっていた。
色々と不審な点はあるが、これを持ち歩くようになってから良い事が続いていたので、何とはなしに持ち歩いていたのだった。

「まあ大したことではないんですけど、ここ最近料理の出来が良かったり、偶然立ち寄ったスーパーでセールに鉢合わせたり。他にも色々と…ああ、後、何をしても治らなかった肩こりが急に良くなってきたんですよ」
「そう言えば、ここ最近いつも以上に永野の料理が美味いとは思ったけど…にしても、随分所帯じみてるな」
「…放っといてください」
「悪かったよ。それにしても、シマシマからプレゼントか…」

手の平に収まるほどの小さな麻袋に、綿のようなものを詰めて口を縛ってあるそれは、確かによく見る神社のお守りの形状に近い。
石塚は、それと永野を交互に見比べるようにして視線を動かしながら、最後には顔をしかめて呟いた。

「…多分、ツイてるんだろうね」
「え、まあ、ツイてますけど」
「いや、そうじゃなくて、憑いてる」

日本語の微妙なニュアンスと不穏な視線で言わんとしていることを感じ取ったのか、永野は引きつったままの顔で胡座を崩し、畳の上を僅かに後退した。

「…ああ、やっぱり。さっきから肩にうっすらと影が…」
「ちょ、や、止めてくださいよ!…その手には乗りませんよ。どうせまた思いつきで言ってるでしょう!」

冗談だと知りながらも自分の肩へ目を向け、永野は半笑いのまま固まった。

「そうだろうな…流石の永野もこんな手には乗ってこないか。…永野?」

…重みも何もない肩のそれと、目が合った。
突然のことに驚いたのか、びくっと跳ねたそれは、動物らしい軽い身のこなしで肩から飛び降りると、勢い余って石塚の手元を掠めながら、常時開け放たれたままの縁側から飛び出て、夜の中に姿を消してしまった。
それを目で追っていた永野を不思議そうな顔で見遣りつつ、石塚は不意に取り落としてしまったお守りを拾おうとして、袋の口が弛んでいるのに気付く。

「永野、いつまで固まってるんだ?何か見えるのか?」
「い、いえ…多分、蚊だと思います。…石塚さん、それ、何ですか?」
「袋の中から出てきたんだ」

石塚の手にあったのは、黄色い種だった。
えんどう豆ほどの大きさで、一見した感じでは何の種なのか全く想像がつかない。

「…石塚さん、良かったら、それ貰ってくれませんか?」
「何で?幸運のお守りなんだろう?」
「いや、なんか、良いんです、もう…とにかく貰ってください」

脳裏に先ほどのUMAが過ぎり、最早幸運がどうこうと言っている場合ではない永野は、強引に石塚の手を握らせると、小さく息を吐いた。
状況が飲み込めないなりに空気を読んだ石塚は、首を傾げながら握らされたものに目を向ける。

「貰うのは良いとしても…こんな事にしか使えないかな。永野」
「なんです?」
「目、閉じてて」
「……変なことしませんよね?」
「それはして欲しいって意味で取っても良いのか?」

途端に不機嫌な面になってそっぽを向いた永野に苦笑を返しながら、石塚は種を軽く握ると、深く息を吸って目を瞑った。

「永野」

息を吐くのと同時に、名を呼ばれて反応した永野が目だけを向けたかと思うと、驚いて振り向いた。
黄色の種が、いつの間にか向日葵の束に変わっている。
頻りに目を瞬く永野を、石塚は笑いを堪えながら観察していた。

「石塚さん…何がどうなったんです?どこから出したんですか?」
「見ての通りだよ。見た目はアレだったけど、向日葵の種だったんだな」
「…手品、ですか?」
「魔法と言った方が、聞こえは良いと思うけどね」
「…いつの間に身につけたんですか」
「ほら、こういうのは素直に受け入れておくものだ」
「はあ…」

唐突に花束を手渡され、狼狽えながら向日葵と石塚を交互に見る永野が落ち着いたのを見計らい、石塚は永野の頬に手を伸ばす。
最近気付いたのだが、柔らかくて手触りが良い上に、どうやら弱点らしい。

「…っ、なんですか急に!花、花が潰れますから…!」
「そう言えば…永野、向日葵の花言葉知ってるか?」
「へ?知りませんけど…なんです?」
「いや、何だったかなと思って」
「…誤魔化してるでしょう」
「うん。まあ、シマシマも分かってるなあと思っただけだよ」

ひたすら疑問符を浮かべる永野に、石塚はどこか照れたような笑顔で応えた。