某月、某日、某所にて

「…ということだ」
「…すみません。意味と意図が分かりません」
「うーん、これ以上懇切丁寧な説明をと言われてもなあ…」
「…いや、そうではなく」
「とにかく急を要するんだ。今夜決行だから、頼むぞ永野」

雨天延期にはならないだろうなあ、と永野は密かに息をついた。

あまりにも唐突な提案ではあったが、たしかにその噂というのは最近よく耳にする。
内容というのも、いわゆる怪談。
学校、とりわけこの季節には一種のお約束ですらある。
そもそもこの狭い島の中に学校や、山の上のサイロと曰く付きの建造物があったり、終いにはシマシマとかいうUMAまでいるというのだから、その手の噂の出所には困らないだろう。
平常であれば何ら気にとめるようなことではない、はずだったのだが。
最近「出る」と噂されるスポットは他でもない、誰もが頻繁に利用し、そうせざるを得ないであろう学校の敷地。
暗闇に突如現れる光。人気のない廊下に響く足音。どこからか聞こえる人声など、話される内容も実に多種多様である。
他愛ない噂話とはいえ、それらを真に受けて早々に帰宅してしまう者が出始めているのは、実に良くない話だ。

何の信憑性もないはずの怪談がこれほどの影響力を持ち始めたのは、他でもない目撃者の多さだった。
始まりが何だったのかは定かではない。しかし、誰かがそれらの異常を目撃し、真偽を確かめようと深夜の学校に乗り込んだ者がまた目撃し、その繰り返しで終いにはクラスの約半数が怪現象の類を目撃するという事態に至った。
特に、年少組数名は完全にその話を信じ込んでしまい(目撃したらしい何人かが面白おかしく吹き込んだ所為でもあるが)どうにかしてほしいと要請をしてきたのだった。

流石に部隊運営にまで支障が出るというのは由々しき事態であると、面倒かつ厄介な事の解決に立ち上がったのは我らが隊長殿。
自らが先だって事態の解決に乗り出したのはまあ良いのだが、彼の真意は事件の解決とは微妙にずれたところにあるのを永野は知っている。
結果的にそこへ繋がることに違いないのだが、石塚はただ事の真相を知りたいだけなのだ。

―…幽霊とか宇宙人を信じるかって?うーん、実際に見たことがある人はいるのかも知れないけど、僕はしっかりと「見た」わけじゃないから。

彼が信じるのは己が見、是としたものだけ。
否定はしないものの肯定することもない。
故に、是非を断定できないままでは気が収まらないのだと、いつだったか彼は語っていた。





「たしかこれくらいの時間だったはずなんだが…永野」
「何ですか」
「声が震えてるよ」
「…気のせいでしょう」

もう何十分か待てば日付が変わる。
こんな時間に、しかもこんなろくでもない用事で、わざわざ校舎に足を踏み入れることになろうとは。
夏とはいえ、辺りは既に暗く、聞こえてくるのは虫の鳴き声と、固い廊下に響く二人分の足音のみ。
いつもは夜空に無数の星が見えるのだが、今日は珍しく月の影形すらなかった。

「…僕まで来る必要はなかったんじゃないですか」
「君は、こんな夜遅くに一人で学校の探索に出かける僕を、布団に寝たまま見送る心算だったのか?」

そう言われるとぐうの音も出ない。
黙り込む自分を励ましたつもりか、あと少しだからと石塚は歩を進めた。
引き戸を押し開け、教室に踏み込む。
普段は人で賑わっている場所の静けさほど薄気味悪いものはない。
念のために室内を歩き回って、それから外へ出る。
ふと胸をなで下ろしている自分に気づき、永野は頭を振った。

「外は一周したし、後は食堂と…保健室くらいか」

しかし石塚の呟きを聞き取った途端びくと身をすくませた永野は、ためらいながら石塚の服の裾を引いた。

「い、石塚さん…今日はこの辺にしませんか?」
「永野…今日これで何の進展もないまま帰っても、結局事が解決するか落ち着くかするまでは続けないといけないんだぞ?」
「それは、そうですけど」

石塚は僅かに顔を眇めただけで、表玄関へ向かい始めた。慌ててそれを追う。
霊感などというものには無縁であるが、戦場で鍛えた直感は存外馬鹿にならないものであると永野は自負していた。
命に関わると言えば大げさだが、それと同種のものを感じる。
しかし、どう言えばそれが伝わるのか。

「それにしても拍子抜けだな。この分だと今夜は何もなさそう…」

かつん、と。
不意に、固い物が床に叩きつけられるような、乾いた音がどこかから聞こえた。

「いいいし、石塚さん…!!」
「…落ち着け」

そうだ落ち着け。物音くらいで取り乱してどうする。
黙ったまま歩き出す石塚に仕方なく続く。
保健室の前まで来ると、立ち止まった石塚が「静かに」のジェスチャーをする。
廊下より更に暗い室内から物音が聞こえた。
二人して入り口の壁に張り付き、中を伺う。
衝立の内側から仄かな光が浮かんでいた。
指示を請うように顔を見合わせると、暗がりのせいか、普段以上に仏頂面な石塚が頷いて先頭を切る。
恐る恐る後に続こうとして、不意に背後に気配を感じた。

「……っ」

とっさに振り向くが誰もいない。いるはずがない。
石塚が訝しげに自分を見ているのに気づき、そちらへ足を踏み入れようとして…背後から肩をぽん、と叩かれる。

「よお」
「わああああ!!!石塚さん!!で、でっ…出た!」
「っ…びっくりさせないでくれよ。後ろをよく見てみろ」
「う、しろ…?」

辛うじて固まった首を後ろへ回すと、ばつの悪そうな顔の田島が片手を持ち上げたまま固まっていた。

「田島…なんでこんなところに?」
「それはこっちの台詞だ。こんな時間に二人で何してるんだ?ひょっとして、例のアレか?」
「例のアレかどうかは分からないけど…その、頼まれて夜の見回りを」

すぐに平静を取り戻したらしい石塚は、率直に目的を述べると自分の腕にしがみついている永野をじっと見る。
それでようやく気づいたのか、永野はまたも大声を上げて後ずさり、壁に背中をぶつけてうめいた。

「それだ、それ。いや、本当に困った奴らも居たもんだ」

微妙に会話が通じていないのを分かっているのか、いないのか。
色々目の前にして驚くほど無反応な田島は、不用心にも保健室の衝立の側に寄り「居るか?」と呼びかける。

「…中に、誰か居るのか?」
「人間にしろ幽霊にしろ、居るという表現は間違いじゃないと思うが」

揶揄するような返答に永野はまたも距離を取る。
しかし、衝立の向こうから顔を出したのは全く予想外のものだった。
それは三人分の顔を見渡すと、あくび混じりに口を開く。

「……今、何時?」
「もう0時過ぎ…って、なんで、蔵野がここに」
「…それ、懐中電灯?」
「あ、うん…寝てた時に落としちゃって勝手にスイッチ入ってたみたい」
「石塚さん…」
「いや、これだけで全て説明が付くわけじゃ…」

状況を一番把握していそうな…田島に三人の視線が注がれる。
それに気づいた当人はめんどくさそうな顔をしながら髪を後ろに撫でつけた。



「…まあ質問に答えるのも面倒だから、ネタをばらしてしまうとだな」

相変わらず暗い室内に腰を落ち着け、田島は歯切れの悪い口調で話し始めた。

「蔵野は、最近ここの屋上から星を見てるんだったな?」
「うん…定期的に色んなところを回ってるんだけど、ここなら眠くなったときに保健室で休めるから」

蔵野は一度石塚の顔を伺った。
保健室の無断使用ということになるが、ここで話の腰を折っては悪いだろうと石塚は首を左右に振る。
何とも取れない動作ではあったが、少なくとも咎められている風ではないと感じたらしく、蔵野は頷いて視線を戻した。

「それは蔵野のことを知っているヤツなら大概知っている。まあ、そこから昨今の怪談が噂されるようになったわけだが…要は、お前たち二人への嫌がらせ…いや、いたずらかな?」
「話が飛躍しすぎてよく分からないんだが…僕は最近ここに帰ってきたばかりだし、当然永野も蔵野のことに詳しいはずがない。それで、怪談がどうのこうのと言う噂を流して僕たちを怖がらせようとしてたと?」
「まあ、そういう事になるかな。で、見るに見かねた俺がそれを告発しにやってきたわけだ」
「ということは…あの噂は全部作り話…?」
「いや、そうでもない」

その返答を受けてまた苦い顔になる永野を、田島は面白そうにしている。
石塚はそれを見て、柔和に口元を緩めた。

「田島…悪いけど、永野をからかうのは僕の特権なんだ」
「お、そうだったか。すまんな、委員長」
「私…初めて聞いたわ。そんな噂になってるなんて」
「別に黙ってた訳じゃない。お前は普段から人の話を聞いてない上に昼間はぼーっとしてるからな。どうせ噂も耳に入らなかっただけだろう」

呵々と笑い飛ばす田島を、蔵野は永野と同じような顔で睨み付けていた。



また星を見るからと蔵野は一人で行ってしまい、残った三人もここに居る理由がなくなる。

「さて、それじゃ用も済んだことだし…帰るとしますか。で、委員長?」
「…隊員への処罰についてかな?今日はもう何も考えたくないよ…これ以上の時間外労働は、家まで帰る体力すら削りそうだ」

校門前まで歩いていく。
緊張が抜けてどっと疲れたらしい永野は、既に喋る気力すらないようだ。
体力自慢の永野にしては珍しく、力のない足取りで僅かに遅れて歩いてくる。
石塚の隣で、田島が独り言のように呟いた。
「暗いな」
「夜だからね。…永野、大丈夫か?」
「え、あ、はい。全然ですよ。ぜ、」

何がどう全然なのか全く分からない言葉を残して、永野は硬直した。
目の前で手を振ってみるも、反応がない。気のせいとは思えないほどに顔が真っ青になっている。
不意に背後から差す光に振り向き、想像以上の光量に目を細めた。

「大丈夫か?どうしたんだ?」

そこで、意識は途切れた。




「おはようございます石塚さん。昨晩はどうでしたか?」
「…おはよう。それが、よく思い出せないんだ」
「おや、ボキとしては夜の校舎で二人きりの幽霊騒ぎで吊り橋効果的な何かを期待してたんですがねえ」

この第三者は僕と永野にこれ以上の何を求めているのか、本気で疑問に思いながら、あくびを噛み殺す。
そういえば、最近この島に来たばかりの新参者は他にも居たはずでは…。

「…もしかして」
「はい、首謀者は実はボキだったりします」
「……」

元凶は、あっさりと己の犯行を自供した。

「みんなおもしろがって賛同してくれましたし。予想とは違いましたけど、面白い展開になってくれてボキ的には満足しています」

あんまり永野さんに無茶させちゃだめですよ~と有り難みのない忠告を残して嶋はそそくさと自分の席へ戻っていった。

「…肝に銘じておくよ」

何もかもの境地を通り越し、怒る気力もわかない。
最後の最後に見たものも含め、今の心情を総括するとこうである。

「一体何だったんだ」と。